大停電と音
 摩天楼がそびえるニューヨークマンハッタン、2002年9月11日、一瞬に巨大なワールドトレードセンターが消滅した光景はTVアニメの画面でなく現実のものだったとハドソン川を渡りながら自分の脳裏に刻んだ2003年夏。何度か訪れた事のあるマンハッタン中心部、動のタイムズスクエアと静のセントラルパーク、他人に構わず足早にオフィスへ向かう人々、殆ど24時間休む事のない活動感のあるその光景。
他の都市ではあまり味わう事の出来ない雰囲気である。タイムズスクエア及びその周辺は新宿歌舞伎町とは異なり無秩序でないアメリカ風の混沌さがある。ニューヨークタイムズ、その他のオフィス、カーネギーホールや多くのミュージカル劇場、更には世界的に有名なホテルなど、マンハッタン島の中でも最も活気あるエリアであり、ほとんど24時間休む事がない。
 今回私はそのタイムズスクエアが真下に見降ろせるホテルの46階に滞在した。その高さから眺めたマンハッタンの中心部、やや下方に見える1940〜50年代に建てられたビルの屋上は、どのビルも黒いタールを塗ったような色合いで決して美しいとは思えない。よく目を凝らしてみると、それぞれの屋上は空調機や給水施設が所狭しとひしめき合っている感じである。
それと同時に筆者の目線より上方にあるビルの頂部形状は旧い物と異なり、三角錐や半球、波型、のこぎり型など様々で、昼は青空や雲を背景にそびえ、日没から日の出まではマンハッタンの光が雲に反射し、やや赤みがかった空にくっきりとそのスカイラインが見える。
再度下方を眺めると、タール色のその部分は下から照らしている光と対照的に、暗黒の奈落の底か、ブラックホールとはこのような感じではないか、と昼の部分を知らなければ恐怖を覚える程である。



停電前(73〜74dB・A)2003.8.13夜
深夜他の場所と比べ、一段と明るく光り輝いているタイムズスクエアに目を移し、ズームレンズの様に目を凝らしてみると、長い波長の赤から短い波長の紫まで、地球上のありとあらゆる人工の色がここに集まっているのではないか、と思うくらい大きな画面に煌びやかにニュース、株価、コマーシャルまで、途切れる事無く次々に流れている。20以上もある全ての大画面は、タイムズスクエアを取り囲むように設置され、その画面の間にはネオン看板が光・色を変え、点滅している。しかし、どの画面にも連動した音は全く無く、視覚のみで充分に情報がそれを見ている人に伝えられるよう、人を引きつける映像に工夫されている。


 音といえばスピーカーからの音は無いものの、スクエアの中心にたたずんでいると、朝夕は周辺のオフィスで働いている人々の軽快な足音。観光客のまったりとした動きで生ずる雑踏音。ひっきりなしに往来する大型の乗用車やイエローキャブの走行音。歩道の所々にある通気孔から時々湧き上がるように聴こえる地下鉄の音。更に上空からキノコ雲の様に町全体を包み込むように降り注ぐ空調機の音などなど。マンハッタン島を包み込むような低いピッチの通奏音が、ヨーロッパの大都市とは異なった大音量空間を形成している(LAeq:73〜74dB・A)。


 8月14日夕刻、アムトラックでフィラデルフィアからニューヨークへ帰る途中、快適な特急ビジネスクラスの室内で後20分程度でペンシルバニアステーションへ到着の予定。周りはまだ明るいものの、景色がやや赤味がかって見え始めた時間帯、何の変哲もない田舎のローカル駅に列車が停止したのである。途端に列車内に割れるような大声が、拡声器を通して聴こえ始めたではないか。「Black outが生じ先行電車が全て停止、この特急も停車を余儀なくされました。Black outの原因は未だ不明ですが、判り次第連絡をする」これを繰り返すのみである。列車の乗客は一瞬動揺したものの、割合と落ち着いた雰囲気の行動に感じた。動揺の理由は停電の原因について2002年9月11日のテロと連想し、今回もまた・・・ではと車内のあちこちで囁きあっての事であった。それから20〜30分後であろうか、今までの繰り返しのアナウンスに加えてテロではない模様、五大湖周辺の発電設備の不具合のためである。またBlack outのエリアはどの範囲である旨の情報が、今までと同じ大音量で車内放送に更に加わった(通常走行LAeq:65dB・A,アナウンス時LAeq:78dB・A)。




停電後(71〜72dB・A)2003.8.14夜
 
 
 時間は刻々と過ぎるもののなぜかあまり不安を感じなかった。それはひっきりなしに車掌がアナウンスし、車内では軽食サービスや乗務員との会話が出来たからであろうか。夕闇が迫り始めた頃、ローカル駅のプラットホームに降り、駅の外を見廻すと、交通信号機は全てストップ、駅前やバス停らしき周辺は、家路へ急ぐ人々の黒山の人だかりである。更に列車軌道に目を移すと、我々の列車の後には別の列車が、ホームの一歩手前に停車している。我々がホームに降りる事が出来るだけでもましか。
ひっきりなしに停電の情報が列車内に流れ、それから更に2時間位の間、辺りが全くの暗闇となって暫くの後、各駅停車が一本のみ、ペンシルバニアステーションまで運行する、とのアナウンスが加わった。各駅停車に乗り換えほどなくすると、ゆっくりではあるが列車が動き始めた途端、乗客からは一勢に拍手が沸き起こった。いかにもアメリカらしい。


 マディソンスクエアガーデンの地下にあるペンシルバニアステーションに列車は到着、ホーム,階段など、非常燈が足元を照らしていたためか、大停電にもかかわらず決して暗くは感じなかったが、人混みによる雑踏音以外の音がなく、エスカレーターが停止している事が停電を証していた。乗客は黙々と地上を目指して階段を上ってゆく。地上に近づくにつれ足元の暗さが増す。たどり着いた地上では、真っ暗な中に大勢の人が広場に座ったり、階段部分に腰掛けたりして夜明けを待っている人の顔が、周期的にパトカーの青色回転燈で見える。殆どの人が、落ち着き払ってそこに居る事に、異様な雰囲気と静けさを感じた。
方向を間違わないように30分以上も歩いたであろうか、つい4〜5時間前までは24時間賑わいの絶えなかったタイムズスクエアに辿り着いた。途中、事故や危険を回避するため路地、横道には絶対に入らない様、木製のバリケードを置き、その奥側には必ずNYDP(ニューヨーク警察)のパトカーが青い回転燈を点滅させ、またボランティアが、車の光ではっきりと見える夜光塗料を用いた専用のジャケットを着用し、チェックしていた。

 色と光と音のページェントを繰り広げていたタイムズスクエアは、今日午前中までとは全く異なる姿を呈している。帰宅する足が無い為動けない人、客であるもののセキュリティと設備停止の為ホテルに入る事の出来ない人、夜間の仕事の為出勤した人、更には10局ははるかに超えると思われるテレビ局によるテレビ中継のためのスタッフや電源車などなど。通り、広場は何処もそれらの人々で混雑し、足の踏み場もない程である。
ビルのスカイラインも、色も光も全く見えない漆墨の闇の中に、テレビカメラ用のライトが殆ど一ヶ所に集中し、煌々とした光を放って放送している。大渋滞で全く動く気配のない自動車のアイドリング音、テレビ電源車の発電機音がスクエアの地面部分に充満し、それ以外の音は聞こえない。昨晩までの延々と続いていた色と光、それに天空から降ってくるような音と、地上から湧き上がるような音が織り成す世界とは打って変わった様相を呈していた。

 翌8月15日、又陽は昇り摩天楼の壁面に強烈な光が反射し、今までと変わらない一日が既に始まっていた。しかし注意してみると何か違う。それは煌びやかなはずの全ての大型スクリーンの部分のみが、墨を塗った様に黒く静かに眠っている。また、マンハッタン島全体を覆っていたと思われる天空からの音
のシャワーが全く無い事であった(LAeq71〜70dB・A)。停電のため摩天楼の屋上部で稼動していた空調設備、ビルの壁面の一部から絶え間なく吐き出されていた換気排気音が、その息を止めていたのである。


停電後(大停電中継の為のTV放送設備群)
2003.8.15午前

その日の午後、少しずつではあるが、街は回復の兆候をタイムズスクエア周辺から見せ始めた。ニュース専門の大型スクリーンに流れるように、表示され始めた事に、この周辺に居た人々は黒山のような集団となり、目を釘付けにし、読み始めた。けれども他のいくつものスクリーンは、相変わらず停止していたままである。しかしファーストフード店、レストラン、コスメショップ、スポーツショップ、土産物、デパート、オフィス、地下鉄、バスなど殆ど全てのものが昨夜からの続きで全く機能していない。ただただ大勢の人々がスクエア周辺を徘徊しているように見える。


 夕方近くになると、次第に他のスクリーンも点灯し、ミュージカルのチケットを買い求める人々が、チケットカウンター前に行列を作り始めた。いつもと変わらぬ賑わいを取り戻すのも、もうすぐであろう。ふとスクエア上空を見上げると、既に夕闇が迫っている事に気が付いたものの、足元は日中の陽光による明るさと変わらないほど照らされており、いつの間にかあれほど多く設置されていたテレビ局の設備や車輌は消えており、タイムズスクエアは24時間眠らない街に戻っていた。私の手元の騒音計も74dB・A程の等価騒音レベルを表示しており、音も停電前と同じレベルである。
米国北東部を襲ったBlack outという大停電は2日間でほぼ終結した。我々にとっては不可欠な電気である。しかしそれがない事で音から見た環境への負荷が半分になるという現実に驚かされた。



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