バリ人にとっての人の死は、我々の死に対する意味とは大きく異なるものである。古代バリ人は、アニミズムを信奉しており「生命の流れは不滅であり、死後に戻ってきて他の生き物に生命を与える。よって人のこの世における生涯は魂が進化していく長い道程のなかのほんの少しのできごとでしかない」と信じていた。この考え方は現在のバリにおいてもその思想の根底が受け継がれている。決して悲しいことではないと。
火葬当日は、夜明けから屋敷は細々したこと、主人は客の世話、女達は供物に気を配り、男達は塔と棺の運びと飾り付けなど、全ての準備が整うと客に最後の御馳走がふるまわれる。
火葬場への行進を始める合図にバンジャールの「クルクル」という神聖なスリットドラムがたたかれる。遺体が納められた牛の形をした棺「パトゥラガン」とその上に乗って火葬塔パデをかつぐ行列は、屋敷を出ると乱闘騒ぎのなか、死者が家に戻る道が判らなくなるように、あっちこっちに向けられたり回したりされる。騒々しい行列は、爆竹とゴング、カジャルクンダンを主体とした勇ましい音楽を伴奏に、激しく乱れながら村はずれにある火葬場まで運ばれる。
火葬の火は摩擦か天日レンズで起こし、薪で燃やすのであるが、最近は強力な石油バーナーに代わっている。天日から採られた火種がバーナーに点火されると「ゴー」というすさまじい音が周辺に響きわたる(LAeq:66dB)。
その間に楽団の演奏が一斉に始まり、火の勢いと同調して騒々しく鳴りわたり(LAeq:77〜80)、世話役達は早く良く遺体が焼けるように、長い棒で突き刺したり塔の残骸をくべたりする。バンジャール中の老若男女は、愉快に話したり食べたり、リラックスしながら死者の焼け具合を見守っている。
骨と灰になった遺体は、ココナッツを白布で包んだ骨壷に入れ、家族によって海にていねいに撒かれる。一向はその後、水を浴び身を清めてから暗闇の中を家路に着くのである。
バリ人の一番の楽しみは、火葬儀礼とのことである。火葬は浮かれ騒ぐ時であって、喪に服す時ではない。遺体を焼いて死者の魂を解き放ち、死者がもっと上の世界に到達し、もっとすばらしいものに生まれ変われるようにするこの儀礼を行うことにより、人は神聖この上ない義務を果たすことができるからである。
しかしながら身分の高いカースト、王家や貴族などの葬儀の傍らで、身分の低い家族が大規模な葬儀に合わせて、それまで待ち、場合によってはすでに腐敗が進んだ遺体を小さくトタン板で一部を囲み、少しの薪で何とか焼き、焼かれた遺体は費用がかからないように近くの川に灰を撒く幾組かの姿が強烈な印象で脳裏に焼き付いている。
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火葬塔「パデ」をかつぐ村人達
(バリ島)
遺体が納めれた棺「パトゥラガン」
(バリ島)
葬式の時は必ず打ち鳴らされる太鼓とゴング
スピーカで大音響を放ち走行する
葬儀の一行(台湾) |